「よかれ」の暴力、追い詰められる子ども 【検証】東広島の中2指導死<上>
2023年3月8日付中国新聞
「大人にとってはささいなことでも、子どもは死を選ぶほど傷を負うことがある」。3日の和解成立後に記者会見で思いを語る遺族
2012年に自殺した広島県東広島市立中2年男子生徒=当時(14)=の両親が、自殺は教員の不適切な指導が原因として市などに損害賠償などを求めた訴訟は3日、暴力的指導があったことを市が認め、広島地裁で和解が成立した。教員の言動で子どもが死に追い込まれる「指導死」は全国で後を絶たない。今回の事案を検証しながら、再発を防ぐ道筋を探る。(教蓮孝匡)
「一生懸命やったと思っているかもしれない。でも…」
「先生方は今も、息子のために一生懸命やったと思っているのかもしれない。でも、結果的に亡くなったんです」。男子生徒の父親(53)は和解後の記者会見で胸に残る思いを語った。「自分の指導が本当にその子のためになっているか。考えてほしい…」
言葉の背景には裁判での教員の証言がある。野球部の男性教員は、机を蹴ったりメガホンを投げたりしたことを認めた上で、自殺当日に「帰れ」と声を荒らげて練習参加を禁じたことについて「(別の教員から指導された問題を)反省してから次のことをしてほしかった」と説明した。
数学の女性教員は、顔を近づけたり大声を出したりする自らの指導方法に「しっかり分からせたい思い。前任校でも厳しくすることで成長した姿を多く見てきた」と主張。自らの指導が生徒を追い詰めるとは「まったく思っていなかった」と答えた。
よかれと思って―。このような現場教員の認識は珍しくはない。
岡山市内の岡山県立高野球部マネジャーだった2年男子生徒=当時(16)=が12年に自殺した問題でも、同部監督だった男性教員は県教委の聞き取りに「選手としての経験から、自身の指導は間違っていない認識だった」と発言。福井県池田町で17年に町立中2年男子生徒=当時(14)=が自殺した問題では、担任だった男性が「同じような指導でうまくいった子どももいた」との思いを述べた。
思い込みや管理の姿勢見え隠れ
東広島市のケースと同様、思い込みや子どもを上から管理しようとする姿勢が見え隠れする。
生徒指導とは何なのか。文部科学省は生徒指導提要で「自分らしく生きることができる存在に自発的・主体的に成長、発達する過程を支える教育活動」と定義する。
だが、現場では細かいルールと厳しい言動で子どもを押さえつけがちな現状がある。東広島市の男子生徒が通った中学でも、当時の指導規定には指導対象となる行為や指導方法が事細かに定められていた。
「行動しか見ず、心やプロセスに目を向けない。罰でコントロールする考えが根底にあり、本質を理解していない」。生徒指導提要の執筆委員を務めた広島大大学院の栗原慎二教授(学校心理学)は指摘する。「全ての教員が自らの指導を見つめ直し磨けるよう、市教委は本気で責を負い取り組むべきだ」とする。
東広島市立中2年男子生徒の自殺 生徒は1年生の時から複数の教員による日常的な指導を受けた。2012年10月、休み時間に美術教材を廊下に置いたことで教員4人から指導され、野球部の練習参加も禁じられた。下校後、学校近くの公園で自殺した。市教委の外部調査委員会は13年9月、「(自殺は)さまざまな事情が複雑に関係し、一部だけを決定的要因と特定するのは困難」としつつ、「当日の一連の指導以外に目立った介在事情は確認できず、関連性は明らか」とする報告書をまとめた。遺族は15年6月、不適切な指導が自殺の原因として提訴。23年3月に広島地裁で和解が成立した。市は暴力的指導を認めて謝罪し、再発防止に取り組む。