平成29年4月30日朝日新聞宮城版
いじめ調査「複数の同級生がからかう」 仙台の中2自殺
記者会見で市立中2年の男子生徒が自殺したことを発表する仙台市教委の大越裕光教育長(左)=仙台市役所
また、いじめが疑われる自殺が起きた。一つの自治体で3年足らずの間に、いじめが絡む中学生の自殺が2件発生。そして今回亡くなった仙台市立中学2年の男子生徒(13)もいじめを訴えていた。この異常な状況で浮き彫りになったのは、市教育委員会の問題意識の希薄さだった。
29日午後に記者会見した大越裕光・市教育長と校長らは当初、「いじめというより、からかい」「『もう帰れ』『うざい』など、子どもが普通に使う言葉の言い合い」といった発言に終始。いずれも男子生徒と複数の同級生との「1対1の問題」とし、状況を深刻なものと捉えていない様子が随所に伺えた。
ただ、約2時間続いた会見の後半で状況は一変する。1年生時に関わった同級生の数は「クラス12人の男子のうち半数」だったことが判明。さらに、いじめ調査のアンケートで、別の生徒から「男子生徒が複数の同級生にからかわれている」と指摘されていたことも明らかになった。
この段階で「個人レベルのからかい」は「集団でのいじめ」という構図が色濃くなった。結果的に、男子生徒や別の生徒が訴えた「SOS」を、学校側が矮小化(わいしょうか)した格好だ。
一方、同級生や地域での取材では、男子生徒がいじめで真剣に悩んでいたことが分かった。
同級生の一人は「1年生の1学期に、クラスで『臭い』などと言われ『死んでも誰も悲しまない』という悩みを聞いた」と打ち明ける。ただ、その後は話を聞かなくなり、「落ち着いたのかと思っていた」。
男子生徒を知る高校生も「クラス全体でいじるような状況が1年生の時からあったと聞いている」。その際、教員はただ見ていたようだという。
3年生の生徒によると、今学期に入っても男子生徒の机に「死ね」と書かれたといううわさを聞いた。
「友だちとは『いじめで亡くなったんじゃないか』と言い合っている」と話す。在校生には28日に校内放送で伝えた。泣いて過呼吸になった生徒が何人もいたという。
一方、「明るくていいやつで、いじめられていたとは分からなかった」「よく変顔をして笑わせてくれた」と話す生徒もいた。(山本逸生、矢田文、加藤秀彬)
■「恐れていたこと起きた」
仙台市では2014年と16年にも、いじめを受けた市立中学生が自ら命を絶った。遺族らは、教訓が全く生かされていない現状に憤り、早期に他の生徒へアンケートをするよう求める。
昨年2月に亡くなった2年の男子生徒の父親は「一番恐れていたことが起きた。本当にショック」と絶句する。
悲しむ遺族を増やしたくないと、別の遺族とともに市教委に再発防止を訴えてきた。自分たちの事案から、解決したように見えた後のフォローが大切との教訓が導き出されたはず――。「結局はひとごとで現場に危機感がない」
真相を知るため、少しでも早いアンケートを強く訴える。「時間が経つと学校は守りに入る。連休の前にやらないと隠されてしまう」
98年に15歳の一人娘をいじめによる自殺で亡くした川崎市のNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」理事の小森美登里さん(60)も「『亡くなった生徒について知っていることがあるか』など一日も早く全生徒に調査し、結果を遺族と教育委員会、学校が共有することが重要」と指摘する。
いじめ防止対策推進法は、いじめで命を失うなどの重大事態が起こった疑いがあれば、学校がアンケートなどで事実関係を明らかにし、保護者らに情報提供するよう定めている。2人の中学生の死に触れ、「全く反省していない。これが重大事態でないというのなら、事実の誤解ではなく、曲解しようとしているとしか思えない」。
(中林加南子、山田雄介)
■問題意識の甘さ露呈
複数の同級生による「いじめ」の疑いを市教委が知ったのは、29日の記者会見の場だった。
男子生徒によるいじめ調査アンケートでの訴えを「1対1のトラブル」と言い張る学校側に、記者団が他の生徒の記述を確認するよう求めて初めて、こうした事実が明らかになった。
「今知った」「我々は把握していない」。飛び出す発言の数々は市教委の問題認識の甘さを露呈した。
クラスの男子半数とのトラブルを訴えた男子生徒。主に1対1の言い合いにせよ、相当な心の負担だったはずだ。
いじめ防止対策推進法は、いじめを「心身の苦痛を感じているもの」と定義する。
心の問題であるいじめは当事者同士の表面的な言動だけでは気づかないことが多い。周囲の生徒らの話など客観的な情報も重要だ。今回は他の生徒の指摘さえ見過ごされた。これでは、勇気を出して問題を訴えた生徒の思いを踏みにじったに等しい。
生徒らの叫びが学校の一部にしか届かなかったことが、自殺という最悪の結果を招いた恐れもある。市教委は傍観者ではない。主体的に、問題の解決に関わる姿勢が問われる。(森治文)