平成29年2月10日東京新聞本社夕刊
事故なき部活、母の誓い 滋賀・柔道部中1死亡、遺族らが団体
長男康嗣さんからの手紙を読み返し、笑顔をみせる村川弘美さん=東京都八王子市
中学校の入学祝いをもらって喜ぶ村川康嗣さん=2009年3月、弘美さん提供
8年前に中学1年だった長男を柔道部の練習で亡くした女性が、部活動や体育での無理な練習による事故を防ごうと、他の遺族らと新たな団体を立ち上げた。長男は生きていれば先月、成人式を迎えたはずだった。
「生きていた証しをつくりたい」。そんな思いが女性の背中を押している。
東京都八王子市の保育士、村川弘美さん(49)。自宅の棚にはいま、亡くなった康嗣(こうじ)さん(当時12)の写真のそばに、大学入試の受験票が置かれている。合格発表を待つ、康嗣さんの2歳年下の高校3年の妹(18)のものだ。村川さんは「『見守っててや』って手を合わせています」と話す。
■猛暑の中、長時間
2009年7月29日のことだった。康嗣さんは通っていた滋賀県愛荘(あいしょう)町立秦荘(はたしょう)中学校で柔道部の練習をしていた。5月に入部したばかり。武道場は気温30度を超えていた。実戦形式で技をかけ合う「乱取り」で、上級生から約50分間技をかけられ続けた。その後、顧問に返し技をかけられて意識不明に。
約1カ月後、急性硬膜下血腫で息を引き取った。
康嗣さんはぜんそくの持病があり、小学生の時はほとんど運動ができなかった。中学に進み、「運動部で体力をつけたい」と柔道部を選んだ。「クラスメートに誘われた」とうれしそうに話していた姿を村川さんは覚えている。
村川さんは「この子のペースでやらせて」と顧問に頼んでいたが、練習メニューは他の部員と同じだったという。
妹を町の中学校に通わせたくないと、事故後に八王子市に引っ越した。「学校や顧問を責め、闘っていないとつらくて生きていられなかった」と振り返る村川さん。顧問は傷害致死容疑で書類送検されたが、不起訴処分に。
民事訴訟でも町の責任は認められたが、顧問の責任は退けられた。
裁判が続くなか、同じように学校で子どもを亡くした遺族から連絡が来たり、遺族の集いに参加したりして仲間ができた。裁判が終わって目標を失った時、「まだやることがある」と励まされた。
全日本柔道連盟は昨年9月、全国の中学や高校の柔道部で15年以降に3人の生徒が死亡していたことを公表した。「康嗣が亡くなってからも世の中は変わっていない」 他の遺族と「事故が起こる環境を変えなければ」と話し合った。昨年冬、遺族ら7人で任意団体「エンジェルズアーチ」を発足させた。「体育館の気温が危険な値になったら鳴るサイレンはないか」「一人ひとりの熱中症の危険度を測る機械は導入できないか」。大学の研究者に相談し、みなで話し合う。
■20歳の姿を思う
村川さんは、康嗣さんからの手紙を大切に残している。小学6年のとき、母の日のころにもらった。
「ぼくが大きくなったら絶対親こうこうしたい」「ぼくは、母が大好きです」 幼いころから、建築家になって母親に家を建てるのが夢だと語っていた。事故がなければ、20歳になっていた。
「今ごろ、大学で建築の勉強をしていたかな」。そうつぶやき、村川さんは続けた。「この子の犠牲の先に、学校が変わったと言える日が来てほしい」 ◇
エンジェルズアーチは12日、「子どもやアスリートの重篤事故を防止するために!」と題したシンポジウムを世田谷区の昭和女子大学で開く。永島計・早稲田大教授と、南部さおり・日体大准教授が登壇。午後1~3時、資料代500円。申し込みは、netu.jikobousi@gmail.com(担当・宮脇)まで。(根津弥)