【10月4日付 朝日新聞宮城版】
献花台があった場所には今も花束などが供えられている。よく訪れる近所の男性は、「生徒が死を選んだことを学校や地域は重く受け止めて、みんなで黙禱を捧げるべきだ」と花束に水をあげていた=3日、仙台市内の公園
仙台市立中学1年の男子生徒が昨秋、いじめを受けて自殺したことが公表されてから、1カ月以上が経った。生徒が通った中学校では「遺族の意向」として、自殺の事実は説明されていない。朝日新聞の電話取材に応じた生徒の父親は、「学校での説明は必要と思うようになった」と心境の変化を記者に語った。
■「生徒や保護者への説明、必要だと思うようになった」息子が亡くなってから、1年が過ぎました。区切りになるかとも思ったけれど、やっぱりそんなことはありません。むしろ、今になって、学校などに新たな怒りもわいてきています。ただ、息子が通った中学校で、生徒や保護者に対して事実が明らかにされることについては、いまでは必要だと思っています。考えが変わりました。
直後から、このことは「墓まで持って行こう」と思っていました。いじめの加害者もわからず、怖い思いをしている状況で、他人やマスコミから探られて、中傷され、これ以上傷つくのは絶対に嫌でした。残された家族や生活を守るためには、公表はできない、と。報告書がまとまり、学校側からすべてを伏せ続けることはできないと説得されて、泣く泣く、8月の公表にいたりました。
しかし、最近は「このまま隠そうともがいていても仕方ないんじゃないか」と思い始めました。学校内で事実を伏せていることで、動揺している人、悩んでいる人もいると報道などで知って、そのままにしていいのだろうかと思いました。
学校側とは、「二度とこんなことは起こさない」と約束してもらっていました。加害者の生徒たちも反省し、具体的ないじめ対策もとられると期待しました。でも、1年経ったいま、私から見ると、何が変わったのかわからない。再発防止ができないのであれば、しっかり事実を出して、生徒や学校に向き合ってもらう必要があるのでしょう。今後、学校側から生徒らへの説明についてはっきりと提案があれば、断るつもりはありません。
しかし、そもそも、こんな最悪な出来事が起こらないと、騒ぎにならないと、学校全体が動かないというのは本当におかしい。何をしても、死んでからでは遅いんです。悔しい。
息子がまだ生きていた当時、いじめをやめるよう指導する内容の学年集会が開かれていました。それでも、いじめはなくならなかった。それを考えると、事実を明らかにしても何も変わらないのではないか、という思いは残ります。
そんな中、学校そばの献花台の設置は、とてもありがたかった。どなたが行動を起こしてくれたのかはわからないけれど、私も直接手を合わせに行きました。息子も、少しは浮かばれたかな。少しずつ、前を向いて行動していかないといけないと思えるようになりました。(聞き手・船崎桜)
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〈仙台のいじめ自殺問題〉仙台市立中学1年の男子生徒が入学直後の昨年5月から、仲間外れにされるなどのいじめを受け、昨秋に自殺した。市教育委員会は今年8月21日、具体名は伏せたまま、いじめが関連する自殺があったことを公表し、対応の問題を認めて謝罪した。
市教委は「遺族の強い希望」を理由に、自殺の事実をそれまで明らかにしていなかった。中学校側も、加害者を除く同級生らには「男子生徒は転校した」と事実と異なる説明をしていた。