平成29年5月23日河北新報社説

仙台・中2自殺/体罰が引き金なら許されぬ

  生徒は、教諭の体罰におびえていたという。心に負った傷はどれほど深かったか。信じ難い事実に言葉を失う。

文部科学省がきのう、仙台市の奥山恵美子市長、大越裕光教育長を呼んで指導した。
 青葉区で先月下旬、いじめを訴えて自殺した中学2年男子(13)がその前日、男性教諭から頭を拳でたたかれる体罰を受けていた。1月には、別の女性教諭からも口を粘着テープでふさがれるという信じ難い行為をされていた。
 校長は、これらの重大な事実を自殺から20日間以上たって別の生徒の保護者からの通報で知ったという。

決定的な失態と言わざるを得ない。
 体罰は学校教育法で禁じられている児童、生徒への暴力である。体罰といじめが同じ生徒の身に降りかかり、死に追いやられた可能性がある。
 逆に、今回のことで、学校運営の陰に折り重なっている深刻な悪弊が見えてきた。
 体罰を行った2人の教諭は男子生徒の自殺についての個別の聞き取り調査の際、校長に報告していなかった。
 男性教諭は頭をたたいた行為について「管理職に報告するほどのことではないと判断した」と釈明しているという。

しかし、翌日の自殺との関連に思い至らなかったとは考えられない。包み隠さず事実を話すべきだった。保身を指摘されても仕方あるまい。
 同市教委は、2教諭の怠慢を厳しく指弾している。ただ一連の対応で、学校が校内を掌握する統治機能は十分なのか甚だ疑問だ。
 コントロールが効いていない中でのアンケート調査や聞き取りでは意味がないのではないか。
 見過ごせないのは、別の保護者の関係者が「(男性教師が)男子生徒の頭を日常的にたたいていたと聞いた」と証言し、市教委もきのう「他の生徒に体罰をしていた」と市議会に報告したことだ。
 体罰の常習化などはもってのほかだが、ある程度の力の行使を容認するような雰囲気が校内に浸透していなかっただろうか。
 身体的な痛みや恐怖で生徒を抑えつける体罰は何の役にも立たないことは、現場の教師が一番よく知っているはずだ。いじめとともに徹底的な検証が不可欠だ。
 体罰禁止などの指導徹底を求める文科省の通知では「体罰は、力による解決への志向を助長させ、いじめや暴力行為の連鎖を生む恐れがある」と指摘している。
 男子生徒の自殺も、教諭らの体罰が、それを日ごろ見聞きしていた生徒のいじめを誘発し、逃げ場のない所まで生徒を追い詰めたのではないか。その最後の引き金が体罰だったとしたら救われない。
 保護者や市民の学校現場への不信感はピークに達している。市教委、学校は早急に第三者による調査委員会を立ち上げ、自殺の原因究明と、体質改善に歩みだすべきだ。

シェアShare on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterShare on LinkedIn

Post Navigation