平成31年3月21日付東京新聞
取手中3自殺、いじめ認定 茨城県調査委「担任の言動が助長」
茨城県取手市で二〇一五年十一月、市立中学三年の中島菜保子さん=当時(15)=が自殺した問題で、県の調査委員会は二十日、同級生によるいじめと自殺との因果関係を認める報告書を公表した。報告書では「担任の言動がいじめを誘発し助長した」とも指摘した。
報告書によると同級生の女子生徒三人が菜保子さんを連日のように「くさや」と呼び、他の生徒に「臭くない?」と告げるなど、複数の行為をいじめと認定した。
自殺当日には、いじめていた生徒が教室のガラスを割ったのに、担任が事実関係を調べないまま、無関係な菜保子さんも連帯責任として指導。「いじめで心理的に追い詰められていた菜保子さんをさらに深い苦しみに陥れ、自殺の引き金になったといえる」とした。
いじめた生徒と菜保子さんが遅刻した際には菜保子さんだけをしかるなど、それまでの担任の言動がいじめを助長したと指摘。いじめた生徒と一体的に「菜保子さんの心理に影響を与えていった」と認定した。
当初調査した取手市教育委員会はいじめを確認できず、一六年三月、いじめ防止対策推進法に基づく「重大事態」に該当しないと議決していた。県調査委委員長の栗山博史弁護士は「両親は最初からいじめによる自殺を訴えており、法律などから重大事態は明らか。ここまで違法な市教委の対応は珍しい」と批判した。 (鈴木学)
<取手市立中3女子生徒いじめ自殺> 2015年11月、市立中学3年の中島菜保子さん=当時(15)=が日記に「いじめられたくない」などと書き残して自殺した。市教委は、いじめ防止対策推進法の「重大事態」に当たらないと議決したうえで、第三者委員会を設置した。疑念を抱いた両親は17年5月、文部科学省に、市教委の調査の中止と第三者委の解散を申し入れた。市教委は直後に議決を撤回。同年12月、両親の求めに応じ、県が新たな第三者委を設置し、いじめと自殺の因果関係を調べていた。
取手中3自殺 娘の訴え、やっと届いた 遺族「3年超…長すぎた」
報告書の公表を受け、記者会見する中島菜保子さんの父考宜さんと母淳子さん=20日午後、茨城県庁で |
茨城県取手市の市立中学三年だった中島菜保子さん=当時(15)=が「いじめられたくない」と書き残して自ら命を絶ち、間もなく三年半。県の調査委員会が二十日に公表した報告書では、「くさや」と呼ばれ、アルバムに中傷を書き込まれるなど、壮絶ないじめの実態が示された。両親は「娘の訴えが受け入れられた。やっとたどり着いた」と語った。 (越田普之、宮本隆康)
「ほんとうんこだよ」「クソってるね」。報告書によると、卒業時の思い出となるはずの菜保子さんのアルバムに、複数の加害生徒から心無い言葉が書かれていた。ほかにも、加害生徒は菜保子さんに視線を送った上で、こそこそ話をしたり、体育の授業で仲間外れにしたりした。
報告書では担任教諭の責任も重いとした。加害生徒と菜保子さんが授業に遅刻した際などに、菜保子さんだけを叱責し、新たないじめを誘発する土壌をつくったと指摘。加害生徒と担任が「補完し合いながら」菜保子さんを追い詰めていったと認定した。
「認定に三年以上かかったのは、あまりにも長すぎた」。県庁で記者会見した父親の考宜(たかのぶ)さん(47)は、取手市教育委員会が当初「いじめによる重大事案に該当しない」と判断したことへの不信感を、あらためてにじませた。
報告書は両親が訴えてきたことに沿う内容だが、菜保子さんに報告するつもりはないという。「一つの区切りのようにとらえられるかもしれないが、私たちは娘のことを背負って生きていかなければならない」と声を絞り出した。
取手市の藤井信吾市長は会見し「当初の対応が不適切だったために、遺族に大変長い間、心痛をかけたことに深くおわびする。本来、市の職責で調査しなければいけなかった」と謝罪。
伊藤哲教育長は「事実関係は市教委がつかんでいる内容と、それほど異なっていない。事実をどう受け止めるかが大切。反省をしなくてはいけない」と話した。