2020年11月23日付毎日新聞

暴言、暴力、恐喝、エアガンで撃たれ…中学でのいじめ 被害男性が今、伝えたい思い

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いじめを受けていた時期の2012年9月に中学1年だった佐藤さんが担任に提出した作文(コピー)。「いじめをなくしたい」のタイトルで被害をほのめかす内容だったが担任は気付かなかった=2013年4月10日、田中韻撮影

同級生が撃ち続けたエアガンの弾は、やがて痛みすら感じなくなり、体をすり抜けていく感覚だった――。中学時代にいじめを受けた男性が、法廷で語った耐えがたい日々。

男性は、重度の心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみながら、前を向くため、顔も名前も公表して裁判を続けている。「いじめで苦しむ子が少しでも減るような世の中になれば」。

そう言って18日に福岡高裁の法廷で男性が紡ぎ出した言葉を詳報する。【宗岡敬介】

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福岡高裁での弁論後に記者会見する佐藤和威さん=福岡市中央区の福岡県弁護士会館で2020年11月18日、宗岡敬介撮影

男性は、佐賀県鳥栖市の専門学校生、佐藤和威(かずい)さん(21)。同市の市立中1年だった2012年に同級生から繰り返し暴行や恐喝などのいじめを受けてPTSDになったとして、同級生8人と市などに計約1億2800万円の損害賠償を求めた訴訟を家族とともに闘っている。18日は控訴審の第1回口頭弁論だった。

「この度は、陳述の機会を与えていただき、ありがとうございます」。佐藤さんの意見陳述が始まった。「中学入学直後から、私へのいじめは始まりました。暴言・暴力、金銭の恐喝、エアガンで撃たれるなど、何もない日はありませんでした」。いじめは12年4月から約7カ月間続いたと訴えている。「『学校の先生に助けを求めればよかったのでは?』とも言われますが、担任の先生は私が暴力を受けている時も、見て見ぬふりをしていました。そんな先生に相談することはできませんでした。いじめに苦しむ人は、その場をしのぐことで精いっぱいで、どこに助けを求めてよいのか分かりません」。さらに「『親に相談したり、学校に行かなければよかったのでは?』と言われます。当時母は病気で入院しており、私は医者から『再発する可能性があるから、心配させないように』と言われていました。加害者から『ばれたら、母や妹に危害を加える』と脅され、親に相談することも逃げることもできませんでした」と、誰にも頼れない状況だったことを明かした。

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2012年4月から繰り返し受けた暴行で男性の左膝にできた大きなあざ。同年10月25日に撮影された=家族提供

執拗ないじめは続いた。「周りを取り囲まれ、背後から首を絞められたり、殴られたり、蹴られたりしました。カッターの刃を突き付けられ、目の前でのこぎりを振り回され、恐怖で体が硬直し、頭の中が真っ白になりました。やがて暴行を受けても痛みを感じなくなり、私に向かって撃たれたエアガンの弾が、体をすり抜けていくような感覚になりました。暴力を受けすぎて、もう振り払う手も、逃げる足も、助けを呼ぶ口もなくなっていました。どんどん私が壊され、私が私でなくなっていったのだと思います」

いじめは別の同級生が学校側に訴え、12年10月に発覚した。「発覚直後から今日まで、私は何度も自殺未遂を繰り返したそうです。人ごとのような言い方ですが、決して『死のう』と決意して行ったのではないのです。私の中には別の私がいるみたいです。今話をしている私の他に、いじめられていた当時の私や、自分が誰かも分からない人がいるようです。ある時何の前触れもなく、いきなりいじめられていた当時の状況が目の前に現れます。そして私が私でなくなるのです。そうなると、自分をコントロールすることができなくなってしまいます。自殺未遂はそのような状況で起こったのだと思います」

今なお続くPTSDの症状も明かした。「今も火や刃物が怖く使うことができません。水が怖く、プールやお風呂に入ることもできません。私と年の近い人や学生服の集団とすれ違うと、恐怖で体が硬直します。加害者や当時の同級生に会うかと思うと、一人で電車に乗ることも店に入ることもできません。いくら『大丈夫だ』と言い聞かせても、息苦しくなり体が反応してしまうのです。

知らないうちに記憶が飛んでしまい、夢か現実か、自分がどこにいるかも分からなくなってしまうのです」

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提訴時の記者会見で、佐藤さんが書いた手紙「10年後の自分へ」を読み上げる母親。「死んだりするな」などとつづられていた=佐賀市で2015年2月19日、生野貴紀撮影

理解してくれた家族の助け

長く暗いトンネルの中でも、命を絶たなかったのは家族のおかげだと言う。「死なずに済んだのは、家族の体を張った助けがあったためです。母は『こんな目に遭って、加害者や学校に腹が立たないの?』と聞かれるそうです。母は『息子を生かすのが最優先で、加害者や学校に腹を立てている余裕がない』と答えています。医者は私の症状について『重いPTSDで、治ることは難しい』『これだけ重症で生きている人はいない』と話しています。多くの人は絶望するでしょうが、母は『治らないなら、慣れればよい』という姿勢で、私に関わってきました。

そんな母の関わり方は、周りから見れば突拍子なく見えるでしょうが、その関わりや、それを理解し支え合ってきた家族の協力があったからこそ、生きてこれたのです」

そして、裁判を闘う決意を固めた思いをこう表現した。「私はこれからもPTSDを抱えながら生きていかなければなりません。そのためには『なぜ自分がこのような状況になったか』ということをはっきりさせることがどうしても必要なのです。学校・教育委員会が明らかにしてくれない以上、私にできることは裁判によってはっきりさせることでした」

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佐賀地裁=佐賀市で2020年8月25日、竹林静撮影

15年2月、佐賀地裁に提訴した。しかし、19年12月に言い渡された判決には「正直あぜん」とした。判決は、同級生2人にエアガンで撃たれたことなどでPTSDを発症したと認定。

この2人に計約380万円の賠償を命じた他、同級生8人が佐藤さんから計約30万円を恐喝したとして、8人に連帯して賠償するよう命じた。一方、エアガンを撃った場所や恐喝を受けた場所の多くが校外だったなどとして、市に対する安全配慮義務違反の訴えは退けた。

「判決を受けた日、私は名前も顔も公表しました。事実がねじ曲げられたことへの怒りがありました。『僕は本当のことしか言っていない。やましいことはない』『うそをついて逃げ回る教師や加害者とは違う』ということを明確にしたいという思いがありました。自分に起こったこと、これまでの道のりを振り返った時、不退転の覚悟を持って臨もうと思ったからです」と話した。

苦しみから抜け出すには

そして、佐藤さんは、今もどこかで起きているかもしれないいじめを思い、メッセージを発した。

「いじめは本当に恐ろしいです。いじめた側は何事もなかったように生活していますが、いじめられた側は日々おびえながら生きています。そして、その被害は一生続きます。いじめられた人は誰かに助けてもらわなければ、その苦しみから抜け出せません。それを多くの人に分かってもらいたいと思います。私は、12歳だった当時の僕のため、そして同じようにいじめ被害に苦しむ人のために、もう一度、勇気を振り絞って闘いたいと思います。この裁判を通して、いじめで苦しむ子が少しでも減るような世の中になることを心から願っています」

 

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