平成30年10月16日朝日新聞広島版

「息子は一生懸命生きていた」組み体操事故、母の悔しさ

中学3年の男子生徒が2年前、夢半ばで突然亡くなった。両親は、運動会で組み体操の騎馬が崩れて頭を強打したのが原因と主張。一方、生徒が通った国立広島大学付属三原中学校(広島県三原市)側は事故そのものを否定し、広島地裁福山支部で裁判が続く。母親が朝日新聞の取材に応じ、我が子への思いを語った。

「将来、パイロットになりたいの?」

「はい」

「そうか、がんばれよ」

息子は空港でフライト後のパイロットに話しかけて、そんな会話をしていました。飛行機に乗る時にはよくパイロットを見つめていたのを覚えています。広島空港に連れていったり、プラモデルや雑誌を買ってあげたりもしていました。

亡くなる少し前には、防衛大学校のことをすごく調べていました。宇宙での仕事の話を聞かせてくれたこともあったので、パイロットから視野を広げ始めていたのかもしれません。

中学から部活でテニスを始めました。小学生から続けている子を意識して「うまくなりたい」とよく口にしていました。休日も友達や夫と練習をしに行っていて、「高校でも続けたいんだ」と話してくれました。

伝達ミスでテニスの試合を欠席すると先生に勘違いされた時には、「もうメンバーを組んでいるから」と先生になだめられても、諦めないでまた先生を説得したんです。「お母さん、出られることになった!」と伝えに来た時は、すがすがしい笑顔でした。こんなに熱中できるものが見つかってよかったね、と私も喜んでいました。

知らない土地に行くことも好きで、家族でいろんな場所を旅行しました。城めぐりをした滋賀や兵庫、民泊のおじちゃんとおばちゃんに可愛がってもらった高知、夫が仕事をしているセブ島――。必ず旅先で小さな置物を買って、棚にきれいに並べるんです。今でもそれを見ると、あんなところも行ったな、一つ一つ大事にしてたんだな、と思い返されます。

息子が亡くなった時、たった2日前の運動会での姿が浮かび「こんな映画みたいなことあるのかな」と受け止め切れませんでした。それからは、ずっと息子の気持ちに寄り添おうとしています。「夢もあって、生きるのにも一生懸命だったのに、こんなことになって悔しいよね」って。できることなら代わってあげたい、何で私じゃないの、とずっと思っています。

「亡くなったくらいで離れ離れにならない」と、今でも家族5人で一緒にいる思いです。この子のお母さんで、本当によかった。

でも、学校から帰ってきたらまず「ただいま!」とリビングに顔を出してくれたことを思い返し、今でも入ってこないかなと思う自分がいます。私が作った大好きなオレンジゼリーを食べながら、ソファでくつろいでいた姿が浮かびます。

一番悲しいのは料理を作る時です。量が少ないんです。仏壇に供える皿に料理を盛ると「あんなにたくさん食べていたのに」と現実に耐えられなくなります。それから、息子が手をつけていない料理を、そのまま下げます……。

学校は「事故はなかった」と言います。そんな学校でも息子にとっては、幼稚園から中学まで一貫で通ってきた、人生そのものです。息子の学校はここだという事実は一生残り続けます。

だからせめて、事実にちゃんと向き合う、いい学校であってほしいと願っています。(橋本拓樹)

〈広島大学付属三原中学校での組み体操をめぐる訴訟〉 2016年6月の運動会で生徒たちは3段の騎馬を組んだまま歩いて退場。男子生徒の両親は、その際に騎馬が崩れ、2段目にいた男子生徒の後頭部に上段の生徒のひざが当たり、2日後に死亡したと主張。学校側は騎馬は無事に「解体した」と事故を否定し、双方の主張は食い違っている。

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