平成30年12月25日付朝日新聞

部活指導、問われる「言葉の暴力」 高3自殺、顧問「殴る蹴るはしてない」

バレーボール

新谷翼さん=遺族提供

スポーツの現場で、体罰や暴力の根絶に向けた取り組みが続く中、「言葉の指導」のあり方も問われている。岩手県で7月、バレーボール部員だった県立高校3年の男子生徒(当時17)が自ら命を絶った。遺族側は顧問の暴言が男子生徒を追い込んだと主張。県教育委員会は第三者委員会の人選を進めており、早期に初会合を開いて自殺との因果関係を調べる方針を示している。

男子生徒は、新谷翼さん。父の聡さん(51)は「翼が生きていたこと、翼に何が起こったかを知ってもらいたかった」と名前を公表した理由を説明した。

中学、高校で全国選抜チームの合宿に参加した経験があり、約197センチの長身をいかして活躍していた。しかし7月3日朝、自室で亡くなっている翼さんを家族が見つけた。

葬儀後、机の引き出しから自筆の遺書が出てきて、「恩を仇(あだ)で返してしまいごめんなさい」などと家族への謝罪のほか、バレーボールが「一番の苦痛」で、「ミスをしたら一番怒られ、必要ないと、使えないと言われた」と記されていた。

単身赴任中だった聡さんが、翼さんと最後に顔を合わせたのは7月1日夜。社会人チームとの試合後、一家で食卓を囲んだ。翼さんは仲間と1セット奪えたことをうれしそうに話していた。「宝物のような存在で、いまだに実感がわかない。長期合宿にでも行っているんだろうなと……」

遺族側は、県教委が部活の生徒や顧問だった男性教諭(41)らから聞き取った調査結果から、「言葉の暴力」があり、自殺につながったと訴えている。

調査によると、翼さんは男性教諭から、「バカ」「アホ」、「背は一番でかいのに、プレーは一番下手だな」などと言われたといい、男性教諭はおおむね発言を認めている。

ただ、殴ったり蹴ったりはしていないとして指導の行き過ぎを否定し、「3年生になり、高いレベルにいってほしいという思いはあった」「翼さんだけをターゲットにして怒ったこともない」と答えている。

自殺から5カ月以上になるが、第三者委はまだ開かれていない。

聡さんは「男性教諭が暴言を吐いていたことは明らか。それ自体許されないことなのに、『指導の一環』という言葉でひっくるめて容認しているのではないか」と述べ、学校と県教委の対応に不信感を示す。

(加茂謙吾)

■「暴言は人権侵害」 専門家指摘

言葉の暴力でスポーツの指導者が処分されるケースも出ている。神戸市では8月、市立中の女子バスケットボール部の顧問教諭が、部員たちに「単細胞」「ゴキブリ」といった不適切な発言を繰り返したとして、戒告処分を受けた。

大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将が顧問から体罰を受け、自殺した事件などが問題になった2013年、日本オリンピック委員会(JOC)や日本体育協会(現・日本スポーツ協会)は「スポーツ界における暴力行為根絶宣言」を採択。「言葉や態度による人格の否定、脅迫、威圧、いじめや嫌がらせ」などを「暴力行為」とした。

文部科学省も「身体や容姿にかかわること、人格否定的な発言」を許されない指導とするガイドラインを作成している。

スポーツ指導において、殴らなければ許されるという安易な考えはなくなっていない。早稲田大学の友添秀則教授(スポーツ倫理学)は「暴言は、指導者にすべての権限を握られている生徒への人権侵害だという本質が理解されていない。誤ったスポーツ指導だと学校の管理職が心がける必要がある」と指摘する。

(編集委員・中小路徹)

■岩手県教育委員会が部員や顧問らに行った聞き取り調査の内容

<男子生徒に顧問が行ったとされる言動>

顧問の説明

<バカ><アホ>

(言葉の)前後に付け足す形で言う癖がある

<脳みそ入っていないのか>

(指導が)「脳みそに入っていないのか」と言ったと思う

<そんなんだから、いつまでも小学生だ>

同じ指摘を繰り返すようなときに発言したかもしれない

<(体が)大きいからできないんだ><背は一番でかいのに、プレーは一番下手だな>

発言はしているかもしれない

<どこにとんでるんだ、バカ><だからお前はいつもこうなんだよ>

言うと思う

<助言を求めても無視する>

同じことを言いたくないので何もしゃべらないでジェスチャーや目線などで「いいよ」と言うことはある

 (社説)学校と指導死 奄美の悲劇から学ぶ

生徒がものを言えない雰囲気が、自分の学校にも満ちていないか。先生一人ひとりが胸に手を当ててもらいたい。

鹿児島県奄美市で3年前、中学1年の男子が自殺した。いじめに加わったと担任に疑われ、家庭訪問を受けた直後だった。ところがよく調べると、いじめといえる言動はなく、誤解に基づくものだった。市の第三者委員会がそう結論づけた。

教師の一方的な指導に追いつめられての死を、遺族らは「指導死」と呼ぶ。公の統計はないが、教育評論家武田さち子さんの調べでは、この30年間に全国の小中高校で、未遂を含め少なくとも76件おきているという。

国の指針は、背景に学校生活がからむ自殺については、詳しく調査のうえ、検証結果を地域で共有するのが望ましいとしている。とりわけ教員の行いに原因がある指導死は、学校側の対応次第で根絶できるものだ。徹底した取り組みを求める。

改めて思うのは「性悪説」に基づく指導の危うさだ。

報告書によると、担任は生徒らの言い分をよく聞かないまま反省と謝罪を強いた。学校全体も「毅然(きぜん)たる対応」を生徒指導の方針に掲げ、細かな校則違反も厳しく点検。

この担任によるものだけでなく、体罰や暴言が以前から目撃されていた。

そんな雰囲気では、身に覚えのないことで叱られても、中学生が抗弁できなくて当然だ。亡くなった生徒も「何でおれが」と漏らしていたようだ。

生徒の「指導」から「支援」へ――。発想の転換を促す報告書の指摘は、重い。

チームワークの欠如も指摘された。担任は自分だけで対処しようとし、校長や一部の同僚はその様子を目にしながら、任せきりにしたとされる。組織で対応する意識を持ち、時間をかけて生徒の言い分を聞いていれば、と思わずにいられない。

一方で、教員の働きすぎが大きな社会問題になり、負担の軽減が求められている。「一体どうしろというのか」との声が、現場から聞こえてきそうだ。

だからこそ、周囲の力も借りた対応が大切になる。

まず思い浮かぶのは養護教諭だ。教室では言えない本音も、保健室では話しやすいと言われる。スクールカウンセラーや事務職員の存在も大きい。教育委員会などが設ける、地域の相談窓口との連携も深めたい。

少し引いた立場から複数の目が注がれる。そんな環境をつくることで、教員ひとりにかかる負担の軽減と、逸脱行為の歯止めが両立できるといい。

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