令和元年5月5日朝日新聞デジタル

卒業式前の大掃除で転落死 「息子の死、防げたのでは」

あれは、虫の知らせだったのか。

2014年2月4日。福岡県に住む原藤(はらとう)弘憲さん(57)はふと、長男の圭汰さん(当時18)に触れたくなった。大学受験から戻った息子は、うれしそうに「できた」と笑顔で話した。気をもんで待っていた父は相撲をしようと誘った。居間で親子の触れ合いが続いた。

翌5日、圭汰さんは越境入学していた大分県中津市の県立中津南高校の掃除中に、校舎4階の窓から転落して亡くなった。

2カ月半後、弘憲さんは県教育委員会から調査報告書を受け取った。事故当日は年7、8回の大掃除で、ワックスがけや窓拭きなどを行っていた。朝礼で担任は、最後の清掃なので心を込めるようにと、生徒に伝えていた。

大掃除に取りかかった圭汰さんは、分担された1階のトイレを掃除。3年生の教室がある4階に戻ると、級友が廊下の窓から庇(ひさし)に出て窓の外側を拭いていた。庇の幅は1・1メートル。

手すりや柵はない。手伝おうとした圭汰さんは、庇に下りる際に転落。約9メートル下の2階テラスで全身を打った。

進学校の同校は、もとは弘憲さんのあこがれだった。その夢を圭汰さんが実現したとき、2人で泣いた。絵が得意で、役場で働きながら漫画家を目指すと話していた。その息子は、自宅に届いた大学の合格通知を受け取れなかった。

事故後の示談交渉で、県教委側から、責任のすべてが県にあるとは考えていないとの説明を受けたという。傷つき、悔しさがこみ上げたが、法知識や支援もなく、事故後に心筋梗塞で入院もした。

裁判を起こすには心も体も限界だった。

「安全であるべき学校で子どもが死ぬなんて保護者は思わない。なぜ事故が起きる前に手を打てなかったのか」。弘憲さんはやり場のない憤りを語り、涙をぬぐった。

圭汰さんが掃除中に転落して亡くなったのは、卒業式を控えた最後の登校日だった。学校で掃除に励んでいた息子がなぜ命を落とさなければならなかったのか。あの日から5年余。弘憲さんは毎日遺影を磨き、心の中で問い続けている。

県教育委員会の報告書によると、2014年2月の大掃除で、同じクラスの女子生徒らが4階廊下の窓を拭いていた。隣のクラスの男子が庇(ひさし)に出て窓の外側を拭くのを見たが、怖くて

できない生徒もいた。そこに、1階のトイレ掃除を終えた圭汰さんが戻ってきた。手伝うために窓際のロッカーに乗り、そこから庇に下りようとしてバランスを崩したという。

同校では当時、窓掃除の取り決めはなく、教員たちは以前から庇に出て窓を拭く生徒を知っていた。だが、気を付けるよう注意するだけだった。

弘憲さんは「息子は真面目に掃除をしただけ。窓の外側の掃除は慣例として行われ、教員も知っていた。事前にしっかり禁じていれば、息子の死は防げたはずだ」と話す。

事故を受けて県教委は県立67校を調査。児童・生徒が窓掃除をしていた59校のうち55校で取り決めがなく、現場に任されていた。23校は事前に安全指導もしていなかった。県教委は事故後、原則として2階以上の窓の外側は拭かせないよう県内各校に通知した。

だが、高校生が掃除中に転落する事故は繰り返された。隣の宮崎県で15年4月、宮崎市の県立高校1年の男子が掃除中、教員の指示で2階の窓の庇に落ちた靴入れを拾おうとして落ち、頭や腕を骨折した。

愛媛県西予市の県立高校では16年1月、2年男子が3階廊下の窓の外側を拭いていて約8メートル下の中庭に落ち、顔を骨折した。すぐ横に1メートルほどの置き石があった。母親は「落ちた場所や当たりどころが悪かったら、どうなっていたか。振り返るだけで怖い」と話した。近県で起きた事故は知らなかったという。高校では、窓の外側の清掃は事故以前は無理しないよう指導するだけだったが、事故後は禁止し、窓が大きく開かないようにした。

17年5月には、神戸市の中学校で男性教諭が4階の美術室から転落して死亡。窓を拭こうとした男子生徒に「危ない」と言って代わっていた。

転落事故をめぐっては、08年6月に東京都杉並区立小学校で、6年の児童が天窓に乗っていて中央部分が割れ、そこから落ちた死亡事故をきっかけに文部科学省が防止策を取りまとめて通知。

10年にも鹿児島県霧島市と兵庫県丹波篠山市の小学校で児童の転落事故が起き、改めて周知した。

転落事故の防止策では、窓から身を乗り出す危険性を十分に理解させる▽窓の下に足がかりになる物を置かない▽庇への立ち入り禁止の徹底を図る、などとした。ただ、窓掃除については

「転落しないよう細心の注意を払う」との記述があるだけ。窓の掃除をどう指導するかは各自治体の判断となっている。

兵庫県丹波篠山市立古市小学校では、保護者が参加する毎月の安全点検を続けて9年になる。教諭と一緒に安全管理マニュアルに従って校内を見て回る。その中に酒井順子さん(48)の姿がある。

10年6月2日、順子さんは1年生の長女綾菜(あやな)ちゃん(当時6)の授業参観に出た。綾菜ちゃんは粘土で作ったアイスやすしを机に並べていた。カエルが卵とおなかのどちらから生まれるか問われると、大きく手を挙げて「おなか」と答え、皆を笑わせた。

その後、順子さんは担任との懇談会などに参加。綾菜ちゃんは他の児童と一緒に3階の図書室で預かってもらった。

「落ちた――」。保護者の女性が叫びながら階段を駆け下りてきた。1階の教室で懇談していた順子さんが校舎裏に出ると、綾菜ちゃんが抱きかかえられていた。

呼びかけると口を動かし、うなずいたように見えたが、搬送先の病院で死亡が確認された。

市教委の調査報告書によると、綾菜ちゃんは窓際に置かれた高さ0・8メートルの本棚の上で遊んでいて、窓から誤って落ちたとみられる。20人弱の児童は宿題や読書をしていたが、2時間近く経ち、落ち着きがなくなっていった。非常勤講師がしばらく見守っていたが、事故が起きた時は監督役が不在になっていた。

その2カ月前、鹿児島県霧島市の小学校で天窓から児童が転落し、大けがを負った。事故を受け、丹波篠山市教委は危険な場所を調べるよう各校に指示していた。それでも窓際の本棚は見落とされた。監督役を置かなかったとして学校側は刑事責任を問われた。

父秀樹さん(49)は、おしゃれが好きで、ヘアバンドを着けた綾菜ちゃんの姿が今も目に浮かぶ。五つ年下の弟を抱きかかえ、よく面倒を見ていた。あと20日で7歳の誕生日。ローラーが付いたスニーカーがほしいと話していた。明るくて、誰とでも話す子だった。

信頼して預けた学校で、なぜ娘は命を失ったのか。真実を知りたかった。事故後、市長が自宅を訪れ、「市の責任です」「分からないことは調べる」と話した。学校や市教委も「当日は暑くて窓を

開けていた」などと説明した。保護者たちは、亡くなる直前に見た娘の様子を伝えてくれた。

事故後、市教委は各校を点検して転落防止の手すりを設け、安全管理マニュアルを作るなどした。古市小では綾菜ちゃんが転落した場所に花壇が作られ、毎年6月2日に「安全のつどい」が開かれる。

同小の毎月の安全点検では、「上りません」と書いたステッカーが窓からはがれていないか、足がかりとなるものはないかなどを見回る。事故直後は多くの保護者が参加したが、最近は少なく

なってきた。順子さんは「みなさんが頑張ってくれて、学校が安全を取り戻したから」と思う。ただ、慣れは怖いとも感じる。初めて参加した人が、気づかなかったことを指摘してくれることもある。同じ思いをする人がもう出ないことを願い、今後もできる限り参加する。(塩入彩、木村健一)

学校での転落死、10年間で35件

日本スポーツ振興センター(JSC)の事故データを産業技術総合研究所が分析すると、2階以上か2メートル以上から転落した事例は、16年度までの3年間で198件。場所は窓からが101件だった。転落時の状況は、屋根に乗った物を取ろうとしたのが43件、庇などに落ちた物を取ろうとしたのが19件で、掃除中は12件(高校生6件、中学生4件など)だった。掃除中の12件のうち8件は窓拭き中で、5件は外側を拭いていた。

死亡事故について、産総研は別に分析。自殺の疑いと明記されたケースを除く転落死が、16年度までの10年間に計35件あった。高校生19件、中学生9件、小学生7件。経緯の記載が不明確なものも多いが、掃除中のほか、窓に腰掛けていてバランスを崩したものなどがある。

「子供の不注意」で片付けずに対策を

学校事故について研究している名古屋大の内田良准教授は「転落事故がまだ起きていることに驚きを隠せない」と話す。内田准教授は10年ほど前、JSCのデータをもとに過去27年間に起きた転落死亡事故を分析。小学校は窓、高校は庇からの転落が多かったとして、論文などで事故防止策の重要性を指摘してきた。

3年間で198件という事故件数について、内田准教授は「幸いにも死亡まで至らなかった事故も、打ちどころが悪ければ亡くなっていたかもしれない。これだけ事故が起きていることを国は真摯に受け止めるべきだ」と話す。

屋根や庇に「乗るな」と注意するだけでなく、庇に落ちた物を取る道具を用意するなど具体的な対応が必要だと提案。窓の下を植え込みや花壇にし、転落しても衝撃を和らげるなどの安全対策も

考えられるという。「『子供の不注意』『偶然』と片付ければ対策は進まない。国は全国の事故情報を収集・分析し、専門家を交えて対策を講じる必要がある」と訴える。

転落事故の件数

高校    48

中学校 116

小学校   34

幼保    0

合計  198

産総研調べ。2014~16年度の3年計。自殺や自殺未遂の疑いと明記されたケースは除いた。

転落1

転落2

転落3

転落4

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