令和元年7月12日朝日新聞
子どもの自殺、再調査でいじめ認定相次ぐ 遺族も不信感
子どもが自殺した原因や背景を調べるため、教育委員会が作った第三者委員会などの判断が再調査を経て覆され、「いじめが原因だった」と認定される例が続いている。遺族からの不満もあり、第三者委員会のあり方はいじめ防止対策推進法の改正に向けた焦点の一つだが、国会議員の議論はストップしている。
「やっと長いトンネルの出口が見えました。長く苦しい2年10カ月でした」
仙台市立中2年だった息子が2016年2月に自殺した男性は、昨年末の会見でこう語った。この日、市の第三者機関「いじめ問題再調査委員会」が、いじめを認定して「(自殺と)強い因果関係があった」と答申した。
息子が命を絶った直後から、市教委はいじめが原因となった可能性に否定的な立場を取った。発生翌日の会見で、市教育長(当時)は「継続したいじめで自殺に至ったというものではないだろう」と発言した。
約2カ月後には市教委が設けた第三者委が立ち上がったが、議論は原則非公開だった。17年3月の答申は、部活の後輩から「キモイ」と言われたなどの事実を認定。「いじめによる精神的苦痛が理由の一つ」としながら、詳しい経緯や加害者を明らかにしないまま、男子生徒については「発達上の課題があり、からかいの対象になりやすかった」とした。
「いじめられて当然と、自分の息子が悪いような書きぶり」と反発した男性は、再調査を申し入れた。ちょうど同じころ、別の市立中学2年の男子生徒(当時13)が自殺をした。市教育長が「いじめというよりからかい」と説明しながら、数日後には「過去にいじめがあった」と発言して対応が定まらないなか、文部科学省が「いじめの重大事態として扱うように」と異例の指導をした。これを受ける形で、市長が16年の自殺についても、いじめ防止対策推進法に基づく再調査の実施を決めた。
市長の下に設けられた新たな第三者委は、遺族推薦の弁護士らも委員となった。18年末の答申はいじめとの因果関係を認めただけでなく、当初の第三者委の答申に対しても「発達上の課題があることを、いじめの要因として結びつける論理は正当化されるべきではない」と批判した。
青森県でも、調査がやり直された。16年8月に青森市立中学2年の葛西りまさん(当時13)が自殺したことをめぐり、市教委の常設機関「いじめ防止対策審議会」は17年、「いじめと自殺の因果関係は分からない」としたうえで「思春期うつ」を自殺の一因とする最終報告案をまとめた。だが、遺族は「根拠がない」と批判し、市長が委員の交代や再調査を市教委に要請する事態となった。
委員全員を入れ替えた再調査の末、18年8月にまとまった最終報告ではいじめが自殺の引き金になったと認められ、学校側の組織的な対応の不備が指摘された。父親は会見で「(前の)審議会でしっかり調査してもらえればここまで苦しまずに済んだ」と語り、調査のあり方について検証を求めている。
同県東北町で16年8月に町立中1年の男子生徒(当時12)が自殺した際も、同じような展開だった。町教委の審議会は自殺の背景として、いじめ以外に「本人の特性」や「思春期の心性」を挙げ、遺族が反発。新たに設けられた再調査委は昨年3月、これらの表記について「推測の域を出ず、妥当ではない」と指摘し、「学校の対応の不備が原因となった可能性を否定できない」と結論づけた。
山口県の県立高2年の男子生徒(当時17)の自殺について、県教委の第三者委が「いじめのみを自殺の要因と考えることはできない」としたのに対し、県の調査検証委は今年2月、いじめが主因とする報告書を公表。神戸市立中学3年の女子生徒(当時14)が自殺した問題では、市教委の第三者委がいじめとの自殺との関係を明確にしなかったものの、市の再調査委が今年4月、関連性を認める判断を示した。(高橋昌宏、土井良典)
いじめ被害をどのように調査・検証をするのかは、「いじめ防止対策推進法」の改正作業でも大きな論点となっている。
今の制度では、経緯や原因の解明を第三者委に依頼するのかや、その場合の委員の人選は主に教育委員会が判断している。だが、「学校側に近すぎる」という批判があり、法改正に向けた検討をしている超党派の国会議員勉強会は被害者側が求めれば、最初から首長部局のもとに第三者委を設置でき、人選にも関われないか、検討してきた。
ただ、勉強会の座長の馳浩元文科相が4月に出した試案では、この内容が「自治体の負担が大きくなる」「教育への政治介入の懸念がある」などの理由で削られた。委員の人選についても「利害関係のない者を最低2人入れる」との内容にとどまった。これに対し、自殺をした子どもの遺族らの団体が強い反発を示し、議員の中からも再考を促す声が上がっている。
学校が取り組むべき対策をどのように法律に盛り込むのかなどをめぐっても、議員の間の意見が分かれ、勉強会の議論はその後、実質的にストップした。通常国会を目指していた、改正法案の提出も見送られた。(矢島大輔)