2023年1月25日付朝日新聞デジタル

(大学で取り組む反暴力:1)「先生の言葉一つで、生徒が死ぬ」 子を亡くした親の思い、学ぶ

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研修会で学生たちに語りかけた倉田久子さん(左)と山田優美子さん(中央)。右が南部さおり教授
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研修会で被害者の母親の話を聞く日体大の学生たち

大阪市立桜宮高男子バスケットボール部の主将が、顧問からの暴力などを理由に自死したことが明らかになり、この1月で10年が経つ。以来、スポーツにおける反暴力の啓発については、競技団体だけでなく、大学でも様々な取り組みを行ってきている。3回にわたってリポートする。

昨年12月16日、「学校・部活動における重大事故・事件から学ぶ研修会」が日本体育大学で開かれた。

「将来、子どもを指導するかもしれない学生のみなさんに、一人の高校生に起こったことを聞いていただきたいと思います」

日体大の学生たちに、そう語り始めたのは、山田優美子さん。教員の不適切な指導などで子どもを亡くした親たちでつくる「学校事故・事件を語る会」のメンバーだ。

優美子さんの息子・恭平さんは2011年6月、自ら命を絶った。愛知県の県立高校の野球部員だった。

山田さんは、部員たちが監督から暴力的な指導を受けても、受け入れるしかなかった現実を、涙を交えて語った。

「今日もみんなが殴られた。1人は倒れたところに蹴りが入った」と、恭平さんが泣きそうな顔で山田さんに語っていたこと。

恭平さんも練習中、監督からパワハラの標的になっていた状況を、死後にチームメートから聞いたこと。

恭平さんが亡くなった時のことは、「頭が痛いと欠席した翌日、学校に送り出しました。でも、恭平はそのまま別の場所で亡くなりました。私は第一発見者でした」と語った。

そして自責の念。「自分は何もしなかった。野球を取り上げてはいけないと、本人の退部の申し出が却下されても、『退部を認めてください』と、監督に親の立場で言わなかった。甘く見ていました」

最後にこう語りかけた。

「みなさんの一挙手一投足が、子どもに与える影響の大きさを知っておいてください。先生の言葉、目線一つで、生徒が死ぬしかないようなことになる存在でもあるのです」

「私の話を聞いて、教師になるのが怖くなった方がいるかもしれません。その怖さを知った方にこそ、教師になってほしいです。皆さんのまっすぐな目を、とても頼もしく思います」

■指導現場に出る前に情報を

この研修会は、スポーツにおける体罰問題に詳しい南部さおり教授(スポーツ危機管理学)が、16年から始めた。今回はコロナ禍で3年ぶりだった。

日体大には、保健体育教員やスポーツ関連の職を目指す学生が多い。それは、運動部活動をはじめ、子どものスポーツ指導に携わる可能性が高い、ということでもある。

そこで、運動部活動での重大な事件・事故の被害者遺族に、起こったことのリアルを伝えてもらう。

「部活動で何が起きているか、スポーツ活動の中でどうすれば子どもの命を守れるか、本気で考えたい」。

学生たちにそんな場を、という南部教授の意図だ。

今回は、柔道事故の撲滅を目指す「全国柔道事故被害者の会」の代表、倉田久子さんも講演をした。

11年に当時高校1年の息子を、柔道部での練習中に頭を打った事故で亡くしている。取材に「スポーツに死と隣り合わせの面があるということを、指導現場に出る前に、情報として得ておくことに意義があると感じます」と話した。

スポーツ文化学部3年で、アーチェリー部マネジャーの秋元香穂さんは研修会に参加し、「普段は講義を受ける形で学ぶが、経験された方の言葉は重い。教育関係の仕事を目指している中、より真摯に学びを深めていきたいと思いました」と話した。(編集委員・中小路徹)

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2023年1月22日付朝日新聞

(窓)ちゅうにも届け、母の18年

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仲良しの3兄妹だった。(左から)ちゅうちゃんこと次男の安達雄大さん、長男の鉄朗さん、長女の七海さん。小さい頃、鉄朗さんは「雄大」が発音できず「ちゅうだい」となっていた。そこから雄大さんに「ちゅう」という呼び名がついた=七海さん提供
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(右から)七海さん、母の和美さん、鉄朗さん=2022年10月

  寒い冬の夜、自室のパソコンで開いた原稿は、18年前のあの日の記憶から始まっていた。

福岡市の安達七海さん(25)は一文一文を丁寧に目で追うにつれ、手が震え目頭が熱くなった。

原稿に記されていたのは、初めて知る母の苦しみ。そして8歳上の兄、「ちゅうちゃん」と呼んだ雄大さんのことだった。

友達が多くて、サッカーや釣りが大好きだった、ちゅうちゃん。青空が見えると外に駆けだしていった。家族でよく行ったキャンプでは、率先してテントをはったり、火をおこしたり。青空の下で汗を流す兄は頼もしかった。

しかし、2004年3月10日、事件は起きた。

知り合いの家でバザーの準備をしていると、母親の和美さんの携帯電話が鳴った。「ちゅうが学校でケガしたらしいけん、ここで待ってて」。そう言い、慌ただしく出て行った。

翌日、家族の誰かから、ちゅうちゃんが亡くなったことを聞いた。

その後のことはおぼろげだ。ひつぎに入り、仏間に寝かされたちゅうちゃんが怖く見えたこと、火葬場で大泣きしたこと。それ以外の記憶が抜け落ちている。

長崎市の市立中学校に通っていたちゅうちゃんは、ライターを持ち込んでいたところを先生に見つかった。トイレの掃除用具入れに押し込まれ、ほかに喫煙している友人の名を挙げさせられた。

指導が終わったのち、「トイレに行く」と告げ、校舎から飛び降りた。残されたノートには、友人や親への感謝と謝罪の言葉が並んでいた――

事件の後、ちゅうちゃんがいなくなった食卓は広く感じた。そんな中でも不安を覚えずにすんだのは、母のおかげだった。「今日は何したと」。以前と変わらず、その日あったことを優しく聞いてくれた。

その一方で、毎日のように人に会いに行っているようだった。弁護士や支援者の人たちだと、後から知った。約2年後、教師の行きすぎた指導があったと、長崎市を相手に損害賠償を求める裁判を始めた。介護の仕事をしながら自分と同じように校内で子どもを亡くした親と連絡を取り、教師の指導のあり方を考える勉強会にも参加した。

事件から4年後の08年6月、長崎地裁は自殺の予見は難しかったとして市側の過失は認めなかった

ものの、指導が自殺につながったと認定した。

七海さんは看護大学を卒業し、独り立ちをした。21年9月、母から「本を出したいんだ」とLINEが届いた。不適切な指導で子どもが亡くなる事実、教師の指導のあり方について、社会に問題提起したい――。そして、「日に日にちゅうの記憶が薄れていく。今のうちにちゅうの記録を残したい」。

4カ月後、母が書いた原稿が送られてきた。

事件当日の様子、責任を認めない学校側との苦しい交渉、そして努めて子どもの前で明るく振る舞っていたこと――。原稿を読み、必ず出版させてあげたいと思った。

ネットで資金を募るクラウドファンディングを使うと、母が支援活動で出会った仲間や、ちゅうちゃんの同級生から想像以上の支援が集まった。本のタイトルは「学校で命を落とすということ」。

表紙は、兄が大好きだった青い空の色。ちゅうちゃんにも届けと思いを込めた。

(田中紳顕)

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2022年12月26日付朝日新聞デジタル

聖カタリナ高の野球部寮で集団暴行 元部員が学校法人など提訴

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聖カタリナ学園高校野球部のグラウンド。寮は敷地内にある=2022年11月17日、松山市河野別府、三島庸孝撮影

聖カタリナ学園高校(松山市)の野球部寮で部員らから集団暴行を受けたとして、元部員(15)が同校を運営する学校法人や当時の野球部監督らに約3570万円の損害賠償を求める訴訟を松山地裁に起こした。代理人弁護士が26日、明らかにした。提訴は23日付。

 訴状によると、元部員は1年生。野球部寮で5月、1、2年の部員9人から次々と暴行を受け、左肩が上がらなくなるなどのけがを負い、「甲子園の夢をあきらめ、転校せざるをえなくなった」と主張。昨年11月に同様の集団暴行があった際、学校法人や監督らが適切な対応を怠ったため、今年5月の集団暴行につながったとしている。

 集団暴行をめぐり、学校側が設置した第三者委員会が10月に出した報告を踏まえ、同校は11月、いじめ防止対策推進法に基づく重大事態と認め、愛媛県に報告した。学校法人は「訴状が届き次第、適切に対処していきたい」とコメントした。(神谷毅)

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2022年12月15日付朝日新聞デジタル

運動部活動での事故、沈静化は「遺族にすれば隠蔽」 再発防ぐ方法は

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福岡大の小佐井良太教授=本人提供

学校の運動部活動で、重大な事故が繰り返されている。なぜなのか。再発防止策は、どう見いだせるのか。

 学校事故の実情に詳しい福岡大の小佐井良太教授(法社会学)に聞いた。

 ――再発防止に向けた動きはどうなっているのでしょうか。学校で起きた事故については、日本スポーツ振興センターが死亡見舞金や医療費を支給する災害共済給付制度があり、事故のデータは報告されていますが。

 もともと、この制度は、事故の報告をする際に厳密な検証を義務づけているわけではありません。

 1995年に熊本県の中学校の弓道部で起きた死亡事故を私が調べて論文に書いた際、日本スポーツ振興センターの前身の組織から聞いたのは、「死亡見舞金は、死亡の事実があれば給付する」ということでした。

 給付のために必要な事実を確認する、という質のもので、個別の情報からただちに事故の再発防止につなげられる形のものではありません。

 ――どんな類型の事故が多いのか、分析材料にできないでしょうか。

 柔道部で生徒が死亡したり、重い後遺症が残ったりする事故が多いことを問題視した名古屋大の内田良教授が、給付制度で集められたデータから、柔道の重大事故は新入生に多いことや、大外刈りが危ないといった傾向を分析しました。それは、一件一件の事故についてのわずかな記述を集めて、見えてきたものでした。

 重大事故、軽微な事故を問わず、データを収集・分析して、事故防止に活用しようとする取り組みが、2014年ごろから、文部科学省やスポーツ庁の委託事業として始まっています。

 集められたデータをうまく使い、現場に還元して事故防止に役立てることが必要です。

再発防止へ「働きかけの流れは構築途上」

 ――再発防止そのものを目的に、事故情報を収集する動きはあるのでしょうか。

 文部科学省が2016年に「学校事故対応に関する指針」を出し、学校管理下で子どもが亡くなるなどの重大事故が起こった場合、子どもの保護者からの要望などがあれば、学校設置者などが外部の専門家らによる調査委員会を立ち上げることをルール化しました。

 この制度がスタートして、ようやく6年。今は、それを通じて集まり始めたデータを活用して傾向を分析し、具体的に再発防止へと働きかけていく流れの構築途上にあるとみています。

 ――なぜ、近年までそうした指針がなかったのでしょうか。

 先述した熊本の弓道部で起きた死亡事故は、部員が放った矢がチームメートの頭に刺さった事故でした。過去に似た事故がなかったか、報道などを調べたところ、その3年前に神奈川の中学校弓道部でほぼ同種の死亡事故が起きていました。

 その情報は神奈川県の関係者には知られていましたが、外部には広がっていなかった。弓道競技の学校関係者からは、「不祥事には互いに触れないのがマナーだ」というような話を聞きました。

 事故がどのように起こったかを共有し、洗いざらい検証して再発防止に生かすのではない。「不幸にして起きた事故」として、沈静化させてやり過ごすことに腐心した結果、一つ一つの事故がバラバラに切り離されてきたのが、かつての学校現場での対応だと思います。

事故が関係者にとってショックなのはわかります。ただ、そうやって結局は同じ事故が繰り返されてしまいます。

被害者や遺族からすれば、事故の状況について学校に聞いても十分な説明がなく、教育委員会に開示を求めると黒塗りの資料が出てきたり、一方的なことが書かれていたりする。そっとしておこうという配慮かもしれませんが、遺族からすれば隠蔽です。

そこで、事実を知るための裁判を起こすということが、長らく繰り返されてきました。

全国学校事故・事件を語る会や全国柔道事故被害者の会など、当事者たちが学校事故の再発防止などに向けた要求をしていった中で、少しずつ状況が変わってきてはいますが。

 

「上下関係の硬直性を変えなければ」

――部活動の重大事故で設置される調査委員会に課題はありますか。

調査委員会のメンバー構成や専門性、実際にどのような調査が行われているかについての検証は、20年に文科省が報告書を公表していますが、まだ制度が始まって6年で、十分な検証はなされていません。

スポーツの事故でいえば、委員会のメンバーに教育の専門家や弁護士らに加え、その競技の団体関係者が入ってくる形になるかと思いますが、事故があった時の選手の動きの解析などは、本来はデータ解析などの専門家が入らなければできないことだと思います。

必要な調査を行うための委員の構成を確保できているか、再発防止に資する形になっているのか、不十分ならどう調査能力を高めていくのか、が課題になってくると思います。

――競技団体にできることは。

全日本柔道連盟が努力しているように、各団体が競技に携わるプロの目で事故情報を共有することで、事故の根絶につなげられます。そのためには、「けがをするのが当たり前」「強くなるためにはけがは避けられない」といった意識を変えなければなりません。

安全対策がおろそかな指導者を、それに気づいている後輩の指導者が問いただしていくのが難しいといった上下関係が生む硬直性を変えるところから始めるべきだと思います。(聞き手・中小路徹

〈災害共済給付制度〉学校管理下での事故に起因する死亡や疾病について、見舞金や医療費を給付する日本スポーツ振興センターの制度。死亡事故や障害が残る事故については毎年、統計的な傾向や発生状況が明らかにされるが、簡単な概要にとどまっている。

〈事故被害者の動き〉全国学校事故・事件を語る会は2003年、学校での事故・事件などで子どもを亡くした兵庫県内の4家族が集まって活動していた遺族の会を母体に結成された。柔道では、04年に横浜市立中学校で柔道部員が顧問から何度も投げられて高次脳機能障害が残った事案など重大事故が相次いでいたことから、10年、被害者の家族らが集まり、全国柔道事故被害者の会が結成された。

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2022年11月28日付神戸新聞NEXT

17年前のいじめ「神戸市教委が意図的に隠蔽」第三者委素案 「ない」としていた聞き取り文書も存在

神戸新聞NEXT
神戸新聞NEXT
17年前に発生したいじめ問題に関する、第三者委員会の報告書素案を受け会見する被害者の父親=神戸市内
17年前に発生したいじめ問題に関する、第三者委員会の報告書素案を受け会見する被害者の父親=神戸市内

17年前、神戸市立小学校で当時5年の男性(28)が同級生から暴行などの被害に遭いながら、神戸市教育委員会がいじめと認めてこなかった問題について、第三者委員会が「市教育委員会は学校作成の記録を意図的に隠蔽した」とする報告書の素案をまとめたことが28日、分かった。被害者男性の父親(59)は同日、神戸市内で会見し、「潔く認めて反省してほしい」と市教委に求めた。

男性は2005、06年、複数の同級生から暴力を受け、7人に約50万円を取られるなどして転校を余儀なくされた。07年には同級生3人の保護者に損害賠償を求めて提訴し、一、二審ともいじめ行為が認定され勝訴した。

一方、市教委は「保護者の意向で被害者本人から十分な聞き取りができていなかった」と主張し、裁判が終わってもいじめと断定していなかった。

20年11月からは市教委が設置した第三者委が調査に着手。今年6月、市教委は「ない」としていた被害者本人への聞き取り文書の存在を一転して認め、「公文書に当たらないため不開示にしていたが、対応に問題があった」と説明した。

父親によると今回の素案は、中間報告書として第三者委が今月18日に市教委と被害者家族に渡した。「裁判所が事実認定したいやがらせ行為、暴行行為、たかり行為の全てについて、いじめとの認定が可能である」と明記し、「市教委が、学校が作成した資料を意図的に公文書から除外した行為は隠蔽行為である」と指摘。さらに「資料の秘匿という違法行為を隠蔽するために虚偽答弁を重ねた非常に悪質な行為」とした。

会見で父親は、「(第三者委は)よく調べてくれた。市教委は意図的に隠蔽したことを認めるしかないし、しっかり説明してほしい」と主張。「これは私たちだけの問題ではない。今回報告書で隠蔽が明記されたことが、全国で同じように苦しんでいる方たちの参考になれば」と力を込めた。

一方市教委によると、素案について第三者委から意見を求められているという。「対応については今後検討していく。第三者委の最終報告までコメントは控える」としている。(綱嶋葉名)

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2022年10月28日朝日新聞デジタル

「指導気をつければ守れる命がある」 中2自殺事件の母親が手記出版

 

手記を手に会見する安達和美さん=2022年10月27日午後、長崎市尾上町、寺島笑花撮影

 2004年3月、長崎市立中学校で指導を受けている最中に自殺した安達雄大さん(当時14)の母・和美さん(61)が今月、事件後の18年間をつづった手記「学校で命を落とすということ」(あっぷる出版社、税込み1650円)を出版した。指導が子どもの命を奪うことがあるということ、その後遺族に起きる現実。「再発防止を考えるきっかけに」と願う。

 「32歳になった雄大はどうしていただろうか」。本は、雄大さんの18回目の命日から始まる。この日、小さな子どもを抱いた雄大さんの同級生が何人もお墓参りに来てくれた。「でも、想像がつかない。私の中の雄大は、あの日のまま、笑っている」

担任の指導、目張りした教室で

雄大さんは中学2年の3月、掃除中にライターで遊んでいるところを担任に見つかり、たばこの所持が発覚。放課後に指導を受けている最中、「トイレに行く」と告げて校舎の4階から飛び降り、自殺した。その後の調査などで、雄大さんへの指導がトイレの掃除用具入れの中やアルミホイルで目張りした多目的教室で行われていたことや、担任が関係する生徒の名前を挙げさせていたことが明らかになった。

学校側は当時の会見で「不適切な指導はなかった」と説明。和美さんらが求めた第三者調査委員会の設置を拒否し、市教委に「自殺」ではなく「事故」として報告していた。事実の解明を求めて06年、長崎市を相手に提訴。地裁判決では「自殺の予見は困難」として市側に過失があるとはいえないとしたが、指導と自殺の因果関係は認めた。

事件の後、多くの遺族と出会ったという和美さん。「もっと早く指導が見直されていれば、息子が死ぬことはなかったのでは」。事実を知ってもらうことが再発防止につながると考え、自助グループを立ち上げるなど、活動を続けている。

手記は「遺言のつもり」で書いた。支援を呼びかけたクラウドファンディングでは200万円が集まり、全国から応援のコメントが届いた。本には生前の雄大さんの様子や、雄大さんが亡くなった日のこと、他の遺族との出会いや、その後の家族の生活が記されている。「わずか2時間で自殺まで至ってしまう、信じられない現実が実際に起こっている」と和美さん。「普段の指導に気をつけるだけで守れる命がある。いつか全国の学校に置いて、教育委員会や先生方に読んで頂きたい」 18年間、「顔では笑いながらも、生きているだけで精いっぱいだった」という和美さん。

それでも、子どもの自殺や不登校、つらい事件を目にするたび、「現場は変わっていない。せめておかしいと言い続けよう。1人じゃないと発信し続けよう」と活動を続けてきた。

本は、こう締めくくられている。「雄大が生きた証しがよりよい世界へと少しでも繫(つな)がることを願っています」(寺島笑花)

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2020年12月8日付朝日新聞宮城版

いじめ調査、3校68人分の回答改ざん 講師を懲戒免職

いじめ調査改ざん

記者会見で謝罪する仙台市教育委員会の担当者たち=2020年12月7日、仙台市青葉区、徳島慎也撮影

仙台市が毎年実施しているいじめの実態調査で、いじめを訴える児童の回答を改ざんしたなどとして、市教育委員会は7日、市立七北田小学校(泉区)の荒木武講師(48)を懲戒免職処分にしたと発表した。改ざんは確認できただけで3校ののべ68人分。市教委は私文書偽造の可能性があるとして、警察に相談する。

市教委によると、荒木講師は11月、自分が受け持っている児童33人のいじめ調査の回答のうち、のべ24人分を無断で書き換えたという。

2人については、調査用紙ではいじめられたことが「ある」に丸印があったのに、「ない」に書き換えていた。いじめが「つづいている」や、いじめをしたのは「おなじクラスの人」などとした丸印も消していた。

さらに22人分について、学校がいじめ防止にしっかり取り組んでいるか聞く設問で、「すこしおもう」や「あまりおもわない」の回答を「おもう」にするなど、学校の対応をより高く評価する選択肢に書き換えていたという。

11月中旬、いじめを訴える児童の保護者との面談で、荒木講師が示した回答用紙と食い違っていることが判明。保護者が回答の控えを持っていたことから、改ざんが発覚したという。

市教委の調査に対して、荒木講師は2016、18、19の各年度にも、勤務先のそれぞれの学校で同様の改ざんを認めた。18年度はのべ28人分、19年度はのべ16人分の改ざんが確認されたという。16年度は用紙が破棄され、内容を確認できなかった。

荒木講師は臨時的任用職員で、「常に評価を上げなければ、将来の任用に影響すると考えた」と説明したという。

11年の大津市の中学生の自殺を機に、仙台市も13年にいじめ調査を始めた。子どもたちの声を拾い上げるためで、毎年11月に市内全域の小中高校などを対象に実施している。

市内では14年以降に中学生の自殺が相次いだ。市教委の谷田至史・教育人事部長は記者会見で、「いじめの未然防止と早期対応に努めてきたなか、書き換えが判明した。児童、保護者の皆さまに迷惑をおかけし、不安を生じさせ、心からおわび申しあげます」と謝罪した。

学校への信頼→失望感に

「驚きと戸惑いが一番。裏切られた気持ちです」。7日夕、七北田小に通う娘を持つ40代女性は、ため息をついた。学校からの保護者向けメールで、いじめ調査の改ざんを知ったという。

娘は学校で同級生から言葉の嫌がらせを受け、しばらく悩んでいたことがあった。「先生は味方だ。何かあったら守るからね」。そう言ってくれた担任に打ち明け、担任は何度も話を聞いて見守ってくれていたという。女性よりも先に担任に相談することもあったといい、「身近にいる先生は、子どもが一番最初に頼る存在なんだ」と学校に信頼を寄せていた。親子で感謝している

だけに、今回の件には失望感が募る。

「今後、子どもが先生に話せなくなって、つらいことを抱えてしまわないだろうか」。気がかりなのは子どもの心情だ。まだ娘は、事情を知らない。「親以上にショックを受けるはず。家に帰ったら、娘になんて伝えようか……」。そう声を落とした。

一方、七北田小の菅原邦子校長は取材に対し「信頼を損ねる非常に重大な事案。子どもたちと保護者に、大変申し訳ない」と陳謝した。いじめ問題は「子供の学校生活を守るためにきちんと把握して支援や指導をしていかなければいけないもの」という認識で取り組んできたという。

8日に全校放送で臨時集会を開き、問題の経緯や今後の対応について説明する予定で、後日、臨時の保護者会も開く。「市教委の指導も受けながら、より良い管理方法を考えていきたい。

きちんと説明とおわびを申し上げ、信頼回復に努めたい」と話した。(徳島慎也、大宮慎次朗、近藤咲子)

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2020年12月2日付朝日新聞福島版

いじめ調査結果、会津坂下町に開示命令 賠償訴訟判決

会津坂下町開示1

判決を受けて会見に臨む江川和弥さん=2020年12月1日午後0時56分、県庁、飯島啓史撮影

会津坂下町開示2

判決を受け、会見で涙をぬぐいながら話した江川和弥さん=2020年12月1日午後1時8分、県庁、飯島啓史撮影

会津坂下町の中学校に通っていた長男へのいじめの調査結果が開示されなかったことをめぐり、父親が町に開示と110万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が1日、福島地裁であった。遠藤東路裁判長は町に対し、一部を除いて調査結果を開示し、11万円を支払うよう命じた。

訴状などによると、原告の江川和弥さん(56)の長男綱弘さんは2014年、中学1年の時に学校でいじめを受けて不登校になり、昨年1月に17歳で自ら命を絶った。

町教育委員会は17年、生徒や保護者を対象に、周りにいじめを受けている人がいるかなどを尋ねるアンケートをした。和弥さんは結果の開示を求めたが、回答した生徒らの個人情報への配慮などを理由に断られた。

判決は「調査結果から一部の情報を除けば特定の個人を識別できない」などとして、生徒の氏名や学年、委員会などの情報を除いて開示するよう命じた。

判決後の記者会見で和弥さんは「全面不開示とした町の判断が破棄されたのは当然」と強調。その上でこれまでの調査では事実関係が十分に解明されていないとして、町に再調査を求めていく考えを示した。

町は「判決の内容を確認した後、弁護士とも相談しながら対応を検討していく」としている。(飯島啓史)

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2020年11月30日付朝日新聞兵庫版

15年前の小5いじめ再調査へ 「隠蔽止める」父の執念

神戸市小5再調査

取材に思いを語った被害者の父親=県内

神戸市立小学校で15年前に当時小学5年の男児が同級生から暴行や金銭の要求を受けたいじめ問題で、神戸市教育委員会が再調査を決め、調査委員会が動き出した。

15年前のいじめの再調査という異例の対応は、父親(57)が市議会に陳情を繰り返してきた結果だ。なぜ父親はこだわるのか。

この問題では、父親らは加害者3人の保護者を相手取って提訴し、神戸地裁と大阪高裁がそれぞれ、金銭要求や暴力行為があったと認め、加害者側に慰謝料の支払いを命じた。

一方、市教委は当時の調査が不十分だったことを理由に、現在まで「いじめの可能性が高いが、断定はできない」との立場を示している。

「陳情が採択されてから調査委設置までにも約1年かかり、ようやく始まったという思い」。今月18日に調査委の初会合が開かれ、父親はそう話した。

神戸地裁の判決によると、いじめは2006年2月、男児が父親の財布から抜き取った1万5千円を同級生に渡すところを父親が目撃して発覚。学校は学年集会で、生徒間で「きもい」など言葉によるいじめや多額の金銭授受があったと説明。校長は市教委に「恐喝1件、いじめ1件」があったと報告していた。

だが裁判で市教委が神戸地裁で提出した回答書に父親は驚いた。「いじめと恐喝があったかなかったかは断定できない」とあったからだ。

回答書には「被害者の保護者の要望で本人に聞き取りができなかった」「被害者が転校し事実確認ができない状態が続いた」などと調査が続けられなかったとする理由が列挙されていた。

だが父親は「担任や生徒指導教諭は何度も自宅まで来て聞き取りをしていた」と話す。

「調査自体を隠蔽しているのでは」。父親はそんな不信感を募らせた。

判決の確定後、父親はいじめや部活動中の事故などの被害者でつくる「全国学校事故・事件を語る会」に入会。他のいじめ被害者の話を聞くうちに、学校や市教委がいじめを隠そうとしたと疑われるケースがあることを知った。

当事者が自殺して語れないことも少なくない。「幸い、息子は生きていて証拠もある。これを突破口にいじめの隠蔽を止めたい」。再調査を求め、11年から市議会に陳情を始めた。

「訴えても無駄か」。諦めかけていたとき、垂水区で16年に自殺した中学3年の女子生徒をめぐり、神戸市教委がいじめ内容を記した調査メモを隠していたことが報道された。

「構造的な問題だ」との思いを強め、市議会への陳情を再開。16回目の陳情が昨年初めて採択された。

父親は「調査してほしいのはいじめではなく隠蔽の有無だ」と言う。「今までやってきたのは他の子どもたちのため。被害者を黙らせることがいじめ解決になっている構造を変えたい」と話す。

市教委の担当者は「当時の担任と教頭が被害者本人から話を聞けたのは1回だけだったと話している上、昨年から被害者本人の思いを聞きたいとお願いしてきたが受け入れてもらえなかった」とする。当時の校長が市教委に提出した報告書については「いじめの疑いがあった時点で出す資料。裁判で主張が一転したわけではない」と話している。(遠藤美波)

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2020年11月23日付毎日新聞

暴言、暴力、恐喝、エアガンで撃たれ…中学でのいじめ 被害男性が今、伝えたい思い

鳥栖市専門学校いじめ0

いじめを受けていた時期の2012年9月に中学1年だった佐藤さんが担任に提出した作文(コピー)。「いじめをなくしたい」のタイトルで被害をほのめかす内容だったが担任は気付かなかった=2013年4月10日、田中韻撮影

同級生が撃ち続けたエアガンの弾は、やがて痛みすら感じなくなり、体をすり抜けていく感覚だった――。中学時代にいじめを受けた男性が、法廷で語った耐えがたい日々。

男性は、重度の心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみながら、前を向くため、顔も名前も公表して裁判を続けている。「いじめで苦しむ子が少しでも減るような世の中になれば」。

そう言って18日に福岡高裁の法廷で男性が紡ぎ出した言葉を詳報する。【宗岡敬介】

鳥栖市専門学校いじめ1

福岡高裁での弁論後に記者会見する佐藤和威さん=福岡市中央区の福岡県弁護士会館で2020年11月18日、宗岡敬介撮影

男性は、佐賀県鳥栖市の専門学校生、佐藤和威(かずい)さん(21)。同市の市立中1年だった2012年に同級生から繰り返し暴行や恐喝などのいじめを受けてPTSDになったとして、同級生8人と市などに計約1億2800万円の損害賠償を求めた訴訟を家族とともに闘っている。18日は控訴審の第1回口頭弁論だった。

「この度は、陳述の機会を与えていただき、ありがとうございます」。佐藤さんの意見陳述が始まった。「中学入学直後から、私へのいじめは始まりました。暴言・暴力、金銭の恐喝、エアガンで撃たれるなど、何もない日はありませんでした」。いじめは12年4月から約7カ月間続いたと訴えている。「『学校の先生に助けを求めればよかったのでは?』とも言われますが、担任の先生は私が暴力を受けている時も、見て見ぬふりをしていました。そんな先生に相談することはできませんでした。いじめに苦しむ人は、その場をしのぐことで精いっぱいで、どこに助けを求めてよいのか分かりません」。さらに「『親に相談したり、学校に行かなければよかったのでは?』と言われます。当時母は病気で入院しており、私は医者から『再発する可能性があるから、心配させないように』と言われていました。加害者から『ばれたら、母や妹に危害を加える』と脅され、親に相談することも逃げることもできませんでした」と、誰にも頼れない状況だったことを明かした。

鳥栖市専門学校いじめ2

2012年4月から繰り返し受けた暴行で男性の左膝にできた大きなあざ。同年10月25日に撮影された=家族提供

執拗ないじめは続いた。「周りを取り囲まれ、背後から首を絞められたり、殴られたり、蹴られたりしました。カッターの刃を突き付けられ、目の前でのこぎりを振り回され、恐怖で体が硬直し、頭の中が真っ白になりました。やがて暴行を受けても痛みを感じなくなり、私に向かって撃たれたエアガンの弾が、体をすり抜けていくような感覚になりました。暴力を受けすぎて、もう振り払う手も、逃げる足も、助けを呼ぶ口もなくなっていました。どんどん私が壊され、私が私でなくなっていったのだと思います」

いじめは別の同級生が学校側に訴え、12年10月に発覚した。「発覚直後から今日まで、私は何度も自殺未遂を繰り返したそうです。人ごとのような言い方ですが、決して『死のう』と決意して行ったのではないのです。私の中には別の私がいるみたいです。今話をしている私の他に、いじめられていた当時の私や、自分が誰かも分からない人がいるようです。ある時何の前触れもなく、いきなりいじめられていた当時の状況が目の前に現れます。そして私が私でなくなるのです。そうなると、自分をコントロールすることができなくなってしまいます。自殺未遂はそのような状況で起こったのだと思います」

今なお続くPTSDの症状も明かした。「今も火や刃物が怖く使うことができません。水が怖く、プールやお風呂に入ることもできません。私と年の近い人や学生服の集団とすれ違うと、恐怖で体が硬直します。加害者や当時の同級生に会うかと思うと、一人で電車に乗ることも店に入ることもできません。いくら『大丈夫だ』と言い聞かせても、息苦しくなり体が反応してしまうのです。

知らないうちに記憶が飛んでしまい、夢か現実か、自分がどこにいるかも分からなくなってしまうのです」

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提訴時の記者会見で、佐藤さんが書いた手紙「10年後の自分へ」を読み上げる母親。「死んだりするな」などとつづられていた=佐賀市で2015年2月19日、生野貴紀撮影

理解してくれた家族の助け

長く暗いトンネルの中でも、命を絶たなかったのは家族のおかげだと言う。「死なずに済んだのは、家族の体を張った助けがあったためです。母は『こんな目に遭って、加害者や学校に腹が立たないの?』と聞かれるそうです。母は『息子を生かすのが最優先で、加害者や学校に腹を立てている余裕がない』と答えています。医者は私の症状について『重いPTSDで、治ることは難しい』『これだけ重症で生きている人はいない』と話しています。多くの人は絶望するでしょうが、母は『治らないなら、慣れればよい』という姿勢で、私に関わってきました。

そんな母の関わり方は、周りから見れば突拍子なく見えるでしょうが、その関わりや、それを理解し支え合ってきた家族の協力があったからこそ、生きてこれたのです」

そして、裁判を闘う決意を固めた思いをこう表現した。「私はこれからもPTSDを抱えながら生きていかなければなりません。そのためには『なぜ自分がこのような状況になったか』ということをはっきりさせることがどうしても必要なのです。学校・教育委員会が明らかにしてくれない以上、私にできることは裁判によってはっきりさせることでした」

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佐賀地裁=佐賀市で2020年8月25日、竹林静撮影

15年2月、佐賀地裁に提訴した。しかし、19年12月に言い渡された判決には「正直あぜん」とした。判決は、同級生2人にエアガンで撃たれたことなどでPTSDを発症したと認定。

この2人に計約380万円の賠償を命じた他、同級生8人が佐藤さんから計約30万円を恐喝したとして、8人に連帯して賠償するよう命じた。一方、エアガンを撃った場所や恐喝を受けた場所の多くが校外だったなどとして、市に対する安全配慮義務違反の訴えは退けた。

「判決を受けた日、私は名前も顔も公表しました。事実がねじ曲げられたことへの怒りがありました。『僕は本当のことしか言っていない。やましいことはない』『うそをついて逃げ回る教師や加害者とは違う』ということを明確にしたいという思いがありました。自分に起こったこと、これまでの道のりを振り返った時、不退転の覚悟を持って臨もうと思ったからです」と話した。

苦しみから抜け出すには

そして、佐藤さんは、今もどこかで起きているかもしれないいじめを思い、メッセージを発した。

「いじめは本当に恐ろしいです。いじめた側は何事もなかったように生活していますが、いじめられた側は日々おびえながら生きています。そして、その被害は一生続きます。いじめられた人は誰かに助けてもらわなければ、その苦しみから抜け出せません。それを多くの人に分かってもらいたいと思います。私は、12歳だった当時の僕のため、そして同じようにいじめ被害に苦しむ人のために、もう一度、勇気を振り絞って闘いたいと思います。この裁判を通して、いじめで苦しむ子が少しでも減るような世の中になることを心から願っています」

 

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