【10月23日付 河北新報】
一部黒塗りで開示された調査報告書。いじめを傍観した生徒の責任を厳しく指摘する一方、予防や早期発見のキーマンと強調する
◎なぜ起きた集団いじめ(下)足りない当事者意識
「ひょっとしたら今も、重大ないじめだとは思っていないかもしれない」
天童一中1年の女子生徒=当時(12)=がいじめを苦に自殺した問題で、第三者調査委員会が市教委に報告書を提出した今月5日、野村武司委員長(埼玉弁護士会)は記者会見で一抹の不安を口にした。
<印象「良い学級」>
女子生徒へのいじめは悪口などの言語的攻撃、仲間外れといった社会的攻撃が中心。暴力を伴わないため罪悪感を持ちにくく、相手を絶望のふちに追い込んだ認識に欠けるという。
報告書によると、いじめを主導した加害生徒Aは「自己中心的で度が過ぎることが多い」性格。悪口で話題の中心になろうとする傾向があり、担任が注意すると「ごまかすような言い訳」をするタイプだった。
そんなAから見て満足する態度を取らなかった女子生徒への反感が、いじめの発端となった。標的となった女子生徒に対する悪口は、Aが属した女子グループで行動や言動が時として個々の意見より極端な方向に向かう集団極性化し、クラスの雰囲気を支配した。
第三者委はAを含む加害生徒の中で、女子生徒に明確な攻撃意図があったのは少数とみる。それにもかかわらず「集団いじめ」に発展したのは、周囲の傍観が大きかったと強調する。
女子生徒の自殺後、第三者委が同級生に学級の印象を尋ねたところ、多くの生徒が「良いクラスだった」と答えた。自殺は特殊な出来事で、自分たちにはあまり関係ないとの意識を感じるとし、報告者は「当事者意識、内省が足りない」と指摘する。
女子生徒に関わると、自分に矛先が向かう危険があり、傍観的な態度を取った生徒もいた。Aのグループによる悪口は日常的で、クラスの「言葉による傷つきの感度」が鈍くなっていた面もあった。
<発見のキーマン>
報告書は「(いじめは)加害生徒のみで行われたものでは決してなく、暴走を傍観した多数の生徒、教職員がいたことを忘れてはならない」とくぎを刺した。
傍観する生徒は大人への報告が可能だったことも指摘。被害生徒の孤独を救うメッセージを出せる立場として重要視し「いじめ予防・早期発見のキーマン」と位置付けた。
嫌がらせは多くの男子生徒が知っていた。加害生徒の行為に嫌悪感を抱く生徒は男女を問わずいたが、やめるように注意したのは少数で、教職員への報告は皆無だった。
第三者委は、生徒から報告を受ける側の教職員の守秘義務の重要性とともに「何があっても生徒を守る」という強いメッセージの発信を学校側に提言した。
◎報告書の提言
・いじめに対する認識が希薄な加害生徒に教員がいくら「それはいじめだ」と結論的な認識を示しても、表面的な反応と効果しか得られない。加害生徒に対面して事実を一つ一つ丁寧に確認し、責任回避しているかどうか見詰めながら根気強く関わることで、事実から逃れようとしている姿に自ら気付く可能性がある。
・加害生徒の保護者には、つらい記憶に無理にふたをさせ、事件を無かったことのように振る舞わせるのが、子どもにとってのケアにも教育にもならないことを逃げることなく確認し、指導することが求められる。